おばさまラジオ

アニメが好きというと、子供っぽい印象を与えるのだろう。私も友人からそれを感じて、「ひいた」感じになったときがある、こいつと距離をとりたい、ここからいち早く脱出したいという気分になった。その友人は高校の時の友人で、まあ温和ないいやつではあったのだが、社会人になり車を乗るようになっていた、そしてそいつの車に乗った時、カーステレオからそいつのお気に入りのアニソンが流れ出し、いつまで経ってもアニソンしか流れてこなかった。マクセルメタルハイポジかなんか、無駄に高いテープがびっしり彼の編集により、アニソンで埋まっていたらしい。車内は言葉にできない空気で満たされているように感じた。多分、あんまりないだろうけど、女子を乗せてこのテープを流さないほうがいいと思った。
愛媛のFMで、私がおばちゃんラジオと呼んでいる、番組がある。このラジオの主にしゃべっている人が、多分おばちゃんであろうと思われるので、こう呼んでいる。このおばちゃん、自分が若かった時の、イケイケブイブイだった時代の、多分、デートなどで見た映画で使われていた曲が好きなのか、80年代のポップスをよくかける。優男も好きなようで、徳永英明もよくかける。最近のチヤホヤされている、テレビ的業界的広告代理店的に推している人たちの曲は、自分で買って聞くか、よそのラジオで聞きなさいと言わんばかりにあまりかけない気がする。うん、うん、それでいいと思う。ときどき今チヤホヤされている人たちに言及する時があるが、そんな時は忘れずチクリと何かいう、うんうん、それでいいと思う。ところがある日、私アニメって苦手なんですが・・・的なことを言っていた。アニメの登場人物が、好きじゃなんじゃ言っているのを見るのは好きではない、けど、ジブリとディズニーは別です的なことを言っていた、様な気がする。これを聞いたとき、何か軽く裏切られたような、気がした。別にアニメ好きとは思ってはいなかったが、おばちゃんお前もか、と思った。アニメ等の二次元世界に拘泥し、三次元現実世界での適応能力に書く人たちが、アニメばっかり見て、アニメファンと言ってはばからない様子は子供っぽい感じがする、だからアニメが苦手とか言っておかないと、ましてや社交辞令であっても好きとか言ってしまうと、私まで同類に思われてしまいそうだ、だけれども、ジブリとディズニーはアニメですけど、実写映画同様、エンターテイナメント的に成立してるって、だって様々な賞をもらっているし、大人の女が見てもいい、安心のブランドなんです、といわんばかりの女の人よくいるじゃない、おばちゃんもそうであった。
私はアニメファンであるが、日本のアニメでよくみられる、八頭身だったのが突然二頭身になったり、顔に斜線が入ったり、でっかい定型の冷や汗をかいたり、ロケットのような胸がたゆんたゆんいっていたりするといった表現が出てくると、ちょっと気まずいような「ひいた」気分になる。あと目が異様に大きく、やや離れて配置されていて、口がかなり小さい、鼻が正面から見るとほとんどないとかいう、よくアニメで見られる顔型も、幼い子供そのものなので、そんなもん好きだと言っている大人は、男女問わずロリとかショタ?コン疑惑がかけられる風潮もあるし、〜コンは罪らしいので、確かに好きとは言いにくい。私もまあ、あんまりそういうキャラクターを多用するアニメは、よほどなんだろう、お話自体に興味がない限り見ようとは思わない。だけれども、なんだろう、あのアニメ顔は能面なのだ、或いは平安絵巻での美男美女の定型顔だと思えば、もちろんはっきり思うわけではないが、だんだんアニメ顔も気にならなくなる。あと私が「ひいた」気分になるような、アニメで定番の表現も、歌舞伎の見得みたいなもんだ、知らんけど、いろいろ訳有って今の形になったのだ。そうやって付き合っていけば、なるほど中には、ごく稀に、面白い話があるのだ、ということは、ハイソな、おばさまたちには、こっそり言っておきたい。アニメはお話の、動く図解にすぎないのだ、本来はどんな人にも解り易くお話を展開する手段なのだ。そう考えると、日本のアニメって、日本の伝統芸能の今風の姿なのね、知らんけど、日本で栄えるのは当然のことなのだ。
だからおばちゃんも安心して、アニメも悪くないものですね、とか言って、アニメという言葉について回る、イヤな雰囲気を変えていくよう、協力してくんねえかな、ロハで。