物も成仏させねばな

同窓会というものに出たことがない。馴染めなかった高校のクラスはともかく、中3の時のクラスは私は結構気に入っていたので、そこに誘われたら出る気はあるのだけれど、お誘いがまるで来ない。誰もやろうとしないだけなのかもしれない、みんな死んでしまったのかもしれないが、あれから音沙汰なしに20年以上たってしまったというのは、私の中に何か私が理解していない問題があるのかもしれない。
中学生の頃までは、惚れっぽい所があり、自分の席の近くの女子をなんだか好きになった。最初は欠点しか見えていないのだが、しばらく近くで過ごしているうちに、なんだか見慣れて、お、カワイイ惚れた、とか思い始めるがしばらくすると、席替えがあったり、列のローテーションがあったりして、その思いはフェイドアウトしていく。私から見ればお見合いと、プラトニックな同棲を繰り返していたようなものだった。そんな気になった女子の中に、今もというか、突然今頃になって何故か、また気になりだした人がいる。その人は当時の私から見れば、長身で大人びた声をしていて、その割にあどけない顔をしていて、こいつ今もいいけど、将来性もかなりあるな、という女子であった。その大人びた声を使って「みんな静かにしようよ」と彼女が言えば、狂犬みたいな先生がいくら喚こうと、ざわつきやまぬ教室が、固唾をのむようにして静まり返るというのはよくある光景だった。私が中三のクラスのキャラを使ってRPGを作った場合、勿論そんな予定は全くないが、彼女がラスボスになるのだけは決まっている。最初は勇者と同行している味方、もしくは町の案内役だが、やがて離れ、いなくなり、恐ろしくも美しい最後の敵として登場するであろう。
そんな彼女との思い出は、別段何かあるわけでもないのだが、思い出すのは、彼女が「これ頂戴」といった私の作った蛍光灯スタンドのことだ。技術の授業で、蛍光灯の部品一式と「何か」を使って、自分の好きなように蛍光灯スタンドを作れ、というような課題があり、私はサンキストの果汁ゼリーの木箱に蛍光灯一式を組み込んで課題をでっち上げたわけだが、それを彼女は気に入ったらしく、無邪気にも頂戴と言ってきた訳だ。が、私はあげなかった。私などが作ったそのスタンドを彼女が本当に欲しいと思っているなどと、私には信じられなかったためで、どうせ大事にはしてもらえんだろうと思い、あげなかった。その後私の家で、その蛍光灯スタンドは、ほこりを被っているうちに、点かなくなり、やがて家の者が捨てたのか無くなってしまった。結局私にも大事にされなかったわけだが、もし彼女にあげて、大事にされず、それで直ぐに壊れてしまったとしても、そっちのほうが良かったのではないか、それがあの蛍光灯スタンドの一番いい、収まりどころだったのではないか、いやもしかしたら本当に彼女は気に入って大事にしてくれたかもしれないな、疑って可哀そうなことをしたな、などと思うとなんだか悲しくなってきて、誰彼となく謝りたい気分だ。物にも寿命があるはずだが、あの人にあげた物は、確かに私の目の前から消え、あの人次第で壊れて捨てられてしまったことだろう。でも、それでも私の中では「あの人にあげた物」としていつまでも残しておくことが出来ていたことであろうに。ケチった挙句、勿体ないことをしたものだ、「あの人にあげられなかった物」はもうどこにもない。