SFはSFだった(のかなの)件

セックスフレンドではなくね、サイエンスフィクションとか、サイエンスファンタジーとかいう方向で、今のところは。

最近ボクががっくりしたニュース。
STAP?とか言うやつ。
どっこい日本の理系は生きていた!と思ったんですけれども。
仮定が正しかったとしても、ネットをググってコピペしてていう手段では、
物理法則書き換えたった!ことにはならないんだねえ。

どうなんでしょうね、個人的には諦めてはいないのですが、何の力にもなれそうにありません。

発想は良かったよね。「絶対遺伝子王政」に反旗を翻した感じで。

革命的だったというか。
革命に過ぎなかったのか。
(やっぱり革命はあかんかったわけですけども、現実社会的には迷惑な実験に過ぎなかったのよ、言うまでもなく。)

ありだったと思うんだよね、生命すなわち、いでんこ(ふうらい姉妹影響下)の変化していく要因が、もうちょっと身近にあっても!
じゃないとやっぱ鳥は飛べなかったんじゃない?
放射線とかレトロウイルス以外に変化する方法があっても良かったんじゃないのかな。

変化の要因が今のところ過酷過ぎると思うのです。
沢山の無駄死の上に、生があるって言うのもカッコイイんですけど、救いがなさすぎなんですよ。
正に生き地獄。死が救済だとか。死んだ先が生き地獄だったらもう死ねないですよ。それが業だと言ってしまえばそれまでですが。



ちょっと羽生やすのに、種の存亡をかけないといけないとか。
デキゴコロで、鼻の下伸ばしたっていいじゃない。

いちいち病苦に種族ごと晒されないと、変化できないって。
生き物必死だねー(泣)。

例えば好奇心とか、美意識とか、学習とか、老化を許容することとか。愛でもいいや。ウコンの力でも構いやしない。
なんかこう、何かあっても良かったんじゃないのか。

証明するのは難しいことだろうけれども、科学の徒の皆さんならきっといつか、出来るんじゃないかなとボクはやっぱり思う。