カッパ君の感想文(案)

カッパ君が夏休みの宿題ド定番、感想文を前に固まったり発狂したりして、今治の夏もいよいよなのだが、正直付き合いきれないので、俺が書いてやるから、参考にしたまえ。えっと何借りてきたんだい…宮沢賢治の「虔十公園林+ざしきぼっこのはなし」およびモンゴメリじゃない外人作「忘れないよリトル・ジャッシュ」かあ?
知らんなー。

虔十公園林を読んで
三年ジリノカッパ
主人公というか中心人物の虔十は何歳なのだろう、最後は僕より年上なのだろうけど。学校にも行かず変な奴だと思っていたが、実に変な奴であった。雨の中の青い竹を見て喜んだり、ブナの葉が風に揺れて光るのを見て喜んだり。確かに僕も経験上、何か人にわからない、共感できないところで感情を表すと変人扱いされるというか、馬鹿にされますけど。
後で物語を解説するために登場してきたとしか思えない、普通に偉い人「博士」が出てきて言うところには「まったくたれがかしこくたれがかしこくないかはわかりません」とありまして。馬鹿と呼ばれた変人が見えていたものが、余人にそれが見えていなかったから、余人には映っていただけで心に作用していなかった為に見えていなかったものが、変人には見えていて、それを喜んでいただけだったのですね、慶十さん、ごめんなさい。その喜びの発露が700本の杉を植えたことであったと、十力の現れであったと。それを子供達はわからないまでも、感じて喜んでいたと。慶十の家族は慶十が皆が見えていないものが見えている事をなんだか知っていて、信じていて、慶十の思いつきは慶十公園林になったのでありますな。

忘れないよリトル・ジャッシュを頭と後書きだけ読んで
三年ジリノカッパ
人の日記を読んだって面白くないんだっツーの。ていうか13歳の女子の日記だったらまあどうせ、ありもしない色恋のことしか書いてないだろうから、美少女だったら読むけどよっ、この本書いたの、ちょっと昔は13歳だった人じゃない。まあ、だからようやく冷静になってきたけど、あれだ、日記書くのって、書き続けるのって、サザエさんじゃなくてもしんどくね。結構日記書くっていうの、僕もそうなんだけど、優先順位低いのよね、よっぽど書くネタがあっても書かない。母さんのようにブログのポイント効率が下がったから、モチベ下がりっぱなしなのよお、のそもそも、もともとモチベない状態。だからよっぽどだったのよね、ベッキーベッキーはクリスマスプレゼントに日記帳をもらいました。何このプレゼント、って本当はベッキー切れたんだと思うけど、まあ一応好きなことにしている、お父さんがくれたんだし、中身はともかく外見は悪くないし、こういうの喜んどけばいつか何?シャネル的なバックみたいな奴がもらえるかもしれないから一応喜んだフリしといたんだー。で最初の頃はやっぱり平穏な日が続いたから、あんまり書かなかったわけ。でも突然口蹄疫が侵攻してきて、ナチスがやってきたポーランドみたいになっちゃって、私アンネになっちゃったーていうか、なんでアンネの日って言ったのかな昔。まあとにかく大事に育てて名前までつけてた偶蹄目の皆さんが、口蹄疫が発生しましたので、という一言で、元気なのも若いのもみんな殺して焼かないといけなくなっちゃって、それしかすることが出来なくて、お父さんも無力感からか、なんか壊れちゃうの。そしたら、僕でも日記書くかな、やってそれしか出来んもん。まあなんだろ原発とかぶっ壊れちゃったら、その顛末を「ああこれは何にせよ逐一記録して置かないと」ってそこにいた人が使命感のようなものを感じて、そうすることしかできない人は特にそうするって思う。ちゃんとした歴史がある国では、何もすることのできない人の所に筆と紙と教養が有ったのです。まあだから記録しないでおこう!なんて示し合わせちゃう、ルーピー的な発想は余程遺伝的欠陥がない限り出てこない、ってことは彼らはこの時代にこの国に生きる人としていろいろ足りないんだろーな。だから事後検証出来なくて事後検閲ばっかりしているという。暫定的勝者の上書きばっかりで歴史が出来ますかね。話逸れましたか。
あと書いている時は、何事もなかった平穏だったクリスマスの頃に、戻れないまでも、地続きの今があるんだなーと感じられるんでしょう、もちろん地続きの明日が、少しでも良くなってくれるんじゃないかという、願かけみたいなものも、イギリス人もするのかもね。