アラフォーとか知らんかったよ

キョーのあさ、遠く山ぎはの上の、淡く水色と桜色の雲がたなびいているのをみて、オレはサックスとセレッソのせめぎ合いを見た。心奪われる、寒々しい空。
天上対決ならぬ山際対決。美しい試合になるのは間違いない、だが今はそれを避けるべきだろう、寒いしね。

模型雑誌で見たことはあったが、未見であったハルヒというものにはまった。いまさら。世の中の今が、私の今と違うということを時々軽く感じています。ハルヒなどというものを、アニメで見て、長門という登場人物にひかれ、ライトノベルに手を出す羽目に。ライトノベルってこんなにいっぱいあるんですね、知らないことだらけです。そう世の中知らないことだらけ、本屋や図書館に行けば少しわかります。こんだけ創作物が世界にあったのなら何がオリジナルなんてもーうわからんしどうでもいいね、オリジナルを声高に主張しないならば。アラフォーに入れてもらえるかわからない、キモイかもしれないが、それほど愛玩されそうもない、36プラスなおっさんが、かわいい女の子のイラストのついた細かい本を立ち読みしているのは、社会悪な気がするのね、流石に。腰も痛くなるし。1冊ざっと読んで、2冊違うのを買った。
長門等を操る、トウゴウシネンタイってのは、あれだねきっと、時空の意思なんだろうね、ハルヒが思いついたときにはじまった、とかいう。言葉をもたない、意思のある存在なんて、運命そのものだね。その日そこにいることに意味があるという。おそらく始まった時には、最初からあるし最後まであるじゃん当たり前じゃん、あったじゃんってことになって、あるんだろうね、そこに。
ハルヒが思いついたときに始まった、その意思を持つ時空ではタイムトラベルもできるのだが、一番古い時はハルヒが思いついたときだから、それ以上遡られないのよねそういうことだよね、きっと。仮に思いついたとき以前が存在して、かつソコに行こうとするなら、いつまでも続くであろう遠い未来を旅しなければならず、それはちょっとコロンブスの航海より、期待薄ということですよね。
思いついた本人は、その「ある程度なんでもありの時空」を、知覚することが、幸か不幸か残念なことにできないから、思いついたところでその時空はあってもなくても同じということになるということです。でもあったら楽しいなと思っているうちは、その時空は存在して知らないところでなんでもありなことが起こっているという、なんだか和やかで賑やかな世界だね、いつまでも続くといいね、ネバーエンディングストーリー
タイムトラベルで思い出すのは、おくのほそ道の冒頭周辺にあった、「月日は百代の過客にして、行きかう年も又旅人なり」だったっけ。これを中学の時に実感できるかと先生に聞かれ、知ったかぶって「実感できますが、よくわかりません」的に答えたのを思い出す、そんなところは何も変わらない、疑似アラフォーなのですが、年月や空間というものに意思を与えた人は古来たくさんおられて、世の中を楽しく問題だらけにしてきたのでしょう、とシミジミしています。時空に意思を与えた場合、時空がヒューマンインターフェースを作るかどうか、それがどんな形態になるかは、いったい誰が決めるのでしょう、運命ですかね。