役に立たないことを積み重ねていく偉い人たち

昔、ぷりぷり県というマンガがあった。ぷりぷり県という架空の県を加えた日本各地の県名物に軽〜くふれて茶化していくという「県マンガ」というほほえましいジャンルであったらしいが、ぷりぷり県のちょっととんでもない名物同様、各県の名物も実在を疑うくらい、ちょっととんでもなかった。各地のお祭りとかね。今、愛媛県に住んでいるので、愛媛県のお祭りを目にすることが、秋祭りシーズンということもあり多いわけだが、見た目にわかりやすいカッコイイ祭りと共に、あんまりカッコよくない恥ずかしい感じのするお祭りもあって実におもしろい。見た目にカッコイイお祭りというのは、ヤンチャな人たちに受けるしモテそうな感じがするので、祭りの担い手に苦労しないと思うが、恥ずかしい感じのするほうは、担い手にわかりやすい利益がないので存続に苦心することだろうと思う。だが、わかりにくい格好よくないものを続けていく精神こそが、文化やもっと言えば、人間が他の霊長類と違っている点、その核心だと思う。だから今、格好よくないお祭りに、熱心に参加しているぽっちゃりとした人たちに私はものすごく感謝している。今回ノーベル賞とか言う、名誉ある賞をもらうことになったと、騒ぐことが仕事の人たちが騒いでいるが、今回の日本にとっての恵みの秋は、もらうことになった人たちが、目先の役に立つということよりも、ただ彼らの興味や趣味に忠実であったため、報われる保証のない努力を積み重ねたために、なにかの本質に行き当たり(この時点で彼らにしてみれば十分報われているのだが)、それがため後に得たどうでもよい栄誉なのでありましょう。祭りの担いたちにノーベル賞が送られることがあるとは思わないが、30年前に祭りの担い手だった人たちにとっては、その祭りが今も存続していることは、完全に報われているといっていいはずです。よかったね。